「パリ」という名前の由来とは?ケルトのパリシィ族からたどるフランスの歴史
「パリ(Paris)」という名前は、紀元前3世紀ごろこの地に住んでいたケルト系の部族パリシィ族(les Parisii)に由来します。ローマ時代の町の名前は「ルテティア(リュテス)」でしたが、帝国後期に部族名をとって「パリ」と呼ばれるようになりました。
フランスといえば「パリ」。でも、その名前はどこから来たの?
エッフェル塔、シャンゼリゼ通り、モンマルトルの丘——「フランス」と聞いて多くの人が思い浮かべるのが、首都 パリ(Paris) です。でも、「パリ」という名前がどこから来たのか、考えたことはありますか?
じつはこの名前には、2000年以上前の古代までさかのぼる歴史が隠れています。この記事では、「パリ」という名前が生まれるまでを 古代ケルト → ローマ時代 → フランク王国 の3つの時代に分けて、やさしく解説します。
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古代:セーヌ川に住んだケルトのパリシィ族
今のパリがある場所には、はるか昔から人が暮らしていました。紀元前3世紀ごろ、ケルト系(ガリア人)の部族 がこの地にやってきます。その一つが、のちに「パリ」の語源となる パリシィ族(les Parisii) です。
彼らはセーヌ川(la Seine)の中州、現在のノートルダム大聖堂があるあたり(シテ島)を拠点にしていたと伝えられています。川を渡る交通の要所をおさえ、交易で栄え、独自の金貨まで発行していました。小さな部族ながら、なかなか力のある人々だったのですね。
- 時代:紀元前3世紀ごろ
- 民族:ケルト系ガリア人の部族「パリシィ族」
- 場所:セーヌ川の中州(シテ島周辺)
ローマ時代:町の名前は「ルテティア(リュテス)」
紀元前52年、ユリウス・カエサル がガリア(今のフランス)に攻め込みます(ガリア戦争)。ローマはこの地を支配下におき、パリシィ族の町をローマ風に整備しました。
このときの町の名前が ルテティア(Lutetia)、フランス語では リュテス(Lutèce) です。正式には Lutetia Parisiorum=「パリシィ族のルテティア」 と呼ばれました。「ルテティア」はケルト語で「沼地・湿地」を意味する言葉が語源とされ、セーヌ川のじめじめした中州の様子を表しているようです。
ローマ時代のリュテスは、川の左岸(今のカルチェ・ラタン周辺)へと広がっていきました。その名残は今も残っていて、円形闘技場(Arènes de Lutèce) や クリュニーのローマ浴場(Thermes de Cluny) をパリで見ることができます。旅行のときにのぞいてみると、2000年前のパリを感じられますよ。
「ルテティア」から「パリ」へ——名前が変わった本当の理由
「フランク族がルテティアの名前をやめて、パリシィ族を忘れないように『パリ』と名づけた」——よくこう語られます。でも、じつはもう少し前から名前は変わり始めていました。
ローマ帝国の後期(3〜4世紀ごろ)になると、都市を その土地に住んでいた部族の名前で呼ぶ ことが各地で一般的になっていきます。リュテスも同じで、「ルテティア」という名前はしだいに使われなくなり、部族名パリシィをとって 「パリ」 と呼ばれるようになっていきました。西暦360年ごろ、この町でローマ皇帝ユリアヌスが即位したころには、すでに「パリ」の呼び名が広まりつつあったと考えられています。
つまり「パリ」への改名は、フランク族だけの手柄というより、ローマ後期に起きた 地名の付け替えという大きな流れ の一部だったのです。
フランク王国から、今のフランスへ
ローマ帝国が弱まると、ゲルマン系の フランク族(les Francs) がこの地に進出します。5世紀末〜6世紀、フランク王クローヴィスがパリを王国の中心(首都)に定めると、「パリ」という名前は完全に定着しました。
その後、歴史は フランク王国 → フランス王国 →(フランス革命を経て)フランス共和国 へとつながっていきます。今わたしたちが呼ぶ「パリ」は、大昔にセーヌ川のほとりで暮らした一族の名前が、2000年以上の時をこえて生き続けたものなのです。
じつはパリだけじゃない!ガリアの部族に由来する街の名前
「町の名前が、そこに住んでいた部族の名前になる」——これはパリだけの話ではありません。フランスの多くの都市が、同じようにガリアの部族名からできています。
| 現在の都市 | 由来する部族 | ローマ時代・以前の名前 |
|---|---|---|
| パリ(Paris) | パリシィ族(Parisii) | ルテティア(Lutetia) |
| ランス(Reims) | レミ族(Remi) | ドゥロコルトルム(Durocortorum) |
| アミアン(Amiens) | アンビアニ族(Ambiani) | サマロブリヴァ(Samarobriva) |
| ブールジュ(Bourges) | ビトゥリゲス族(Bituriges) | アヴァリクム(Avaricum) |
| レンヌ(Rennes) | リエドネス族(Riedones) | コンダーテ(Condate) |
こうして見ると、フランスの地図の中に古代ケルトの人々の名前が今も生きていることが分かります。フランスの歴史や文化については、Norubiのフランス語ブログでも記事を公開しているので、あわせて読んでみてください。次に地名を見かけたら「この名前はどの部族から来たのかな?」と想像してみるのも楽しいですよ。
覚えておきたいフランス語
この記事に出てきた歴史の言葉を、フランス語でも見てみましょう。
| Français | 日本語 | メモ |
|---|---|---|
| une tribu | 部族 | la tribu des Parisii(パリシィ族) |
| un peuple | 民族・人々 | un peuple celte(ケルトの民) |
| gaulois(e) | ガリアの | la Gaule=ガリア(古代フランス) |
| la Seine | セーヌ川 | パリを流れる川 |
| une île | 島・中州 | l’Île de la Cité(シテ島) |
| l’origine | 起源・由来 | l’origine du nom(名前の由来) |
トリビア:「パリ」はトロイアの王子から?
中世には「パリはトロイア戦争で有名な王子パリス(Pâris)が築いた町だ」という伝説も語られました。ローマの建国神話(トロイアの英雄アイネイアスの物語)にならって、都に立派な起源を与えたかったのですね。もちろんこれは後づけの伝説で、実際の由来はケルトのパリシィ族です。歴史には、こうした「盛りたくなる気持ち」も垣間見えて面白いものです。
まとめ
- 「パリ(Paris)」の名前は、古代のケルト系部族 パリシィ族(les Parisii) に由来します。
- ローマ時代の町の名前は ルテティア/リュテス(Lutèce)、「パリシィ族のルテティア」でした。
- ローマ後期に部族名をとって「パリ」と呼ばれるようになり、フランク王国の時代に定着しました。
- パリだけでなく、ランスやアミアンなど多くのフランスの都市がガリアの部族名に由来しています。
歴史を知ると、フランス語の地名や単語がぐっと身近に感じられます。「フランスのことをもっと知りたい」「フランス語で読んだり話したりしてみたい」と思ったら、オンラインのフランス語レッスンなどで、ぜひ気軽な一歩を踏み出してみてくださいね。
よくある質問
FAQ
パリの昔の名前は?
ローマ時代には「ルテティア(Lutèce/リュテス)」と呼ばれていました。正式には「ルテティア・パリシオルム(パリシィ族のルテティア)」です。
「パリ」という名前の意味は?
この地に住んでいたケルト系の部族パリシィ族(les Parisii)の名前に由来します。部族名そのものの意味には諸説あり、はっきりとは分かっていません。
ルテティアはどういう意味?
ケルト語で「沼地・湿地」を表す言葉(lut-)が語源とされ、セーヌ川の中州という湿った土地の様子を表しているようです。
パリシィ族はいつごろ住んでいた?
紀元前3世紀ごろ、セーヌ川のほとり(シテ島周辺)に定住したケルト系ガリア人の部族です。
